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2015/03/06

ミジンコ・イノベーション

『イノベーションの作法』(野中郁次郎・勝見明、日経ビジネス人文庫)のなかに、以下の記述がありました。
「裸の王様」という寓話がある。「馬鹿者や地位にふさわしくない者には見えない服」を来た王様が町を歩く。人々は王様に合わせるしかなく、不自然で不自由な状態を強いられる。そのとき一人の少年が叫ぶ。「王様は裸だ」。人々は自分を取り戻す。
 世の中には、同じような不自然さや不自由さが数々存在するが、われわれは自ら適応することにより甘んじて受け入れ、やがて慣れてしまう。あるとき、この不自由さが打ち破られる。それがイノベーションであり、打ち破った人間はイノベーターと呼ばれる。
ここを読むまで、「裸の王様」の寓話とイノベーションは結びついていませんでした。

この箇所に書かれているとおり、「裸の王様」の話では、人々は王様が裸であると気づいていながら、王様に合わせてあたかも服が見えているようにふるまいます。

不自然で不自由な状態です。

一人の少年が「王様は裸だ」と叫んだところで、人々は自分を取り戻します。

イノベーションとは、この不自由さが打ち破られることだといいます。


ここで思い出すのは、ノミの話です。

ノミは垂直方向に20cmほど跳ぶことができるらしいのですが、たとえば10cmのところでフタをして跳べなくすると、最初は何度か跳ぼうと試みるのですが、やがて跳ぶのをあきらめてしまい、フタをとっても跳ばなくなるという話があります。

そして、そのノミをまた跳ぶようにするには、フタの存在を知らない普通のノミを入れてそのノミが跳ぶのを見ると、また跳べるようになるという話です。

同様の話で、ピラニアやカマスの例も聞きます。


「王様は裸だ」と叫んだ少年は、フタの存在を知らないノミのようなもので、見たままを普通に言っただけです。

王様に合わせていた人々は、フタをされて跳ばなくなったノミのようなものです。

不自然で不自由な状態を強いられていました。


以前「わもんな言葉」で、ノミではなく、ピラニアの例を取り上げたことがあります(「わもんな言葉49-壁打ち」参照)。

壁打ちでは、二人の話し手さんの間には壁がないことを前提とするという内容です。

以前は「壁打ち」を例に挙げましたが、冒頭の文章を読んだときは「ガチ聞き」を思い浮かべました。


私たちは気づかぬうちに制限をかけてしまうことがあります。

言動においても、思考においても。

心のブレーキとも言われます。


そのような制限がない、いわばフタの存在を知らない聞き手がいたらどうでしょうか。


話し手は、フタの存在を知らない聞き手を見て、「あ、跳べるんだ」と思い出し、また跳ぶことができるようになると思います。

「王様は裸だ」と言われて、ありのままの自分に戻ります。


ここでの聞き手はイノベーターです。

聞き手がありのままでいることが、イノベーションを起こすことにつながります。


わもんの創始者であるやぶちゃんは、直感のことを「ミジンコ」と呼んでいます。

ミジンコは英語でいうと、water flea(水蚤)です。

直感は、フタの存在を知らないミジンコとも言えます。


直感を捉えることで、ミジンコをキャッチすることで、イノベーションを起こすことができる。

ミジンコ・イノベーション。

こんなことを考えています。


イノベーションの作法(日経ビジネス人文庫) (日経ビジネス人文庫 ブルー の 1-3)
イノベーションの作法(日経ビジネス人文庫) (日経ビジネス人文庫 ブルー の 1-3)

聞けば叶う〜わもん入門
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