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2018/11/22

ことばが劈かれるためには

最近、繰り返し読んでいる本があります。竹内敏晴さんの『ことばが劈(ひら)かれるとき』という本です。鷲田清一さんの『「聴く」ことの力』のなかで紹介されていたのがきっかけで、読み始めました。

最初、書名を見たときは、「劈」という漢字が読めませんでした。ふりがながふってあったので読めなかったわけではありませんが、「『劈く』で『ひらく』と読むのか」と思いました。初めて見る漢字でした。

辞典を開いたのですが、国語辞典の「ひらく」の項を見るも「劈く」という漢字は載っておらず、漢和辞典の音訓索引の「ひらく」の欄にも載っておらず、「読むとしたら、『さく』かな」と思い、音訓索引の「さく」を見ると載っていて一安心。そして「劈」の漢字が載っているページへと進みました。

漢字「劈」の部首は「刀」。上の部分「辟」は「からだを横に引きさく刑罰で、横に開く意を含む。劈は『辟+刀』で、左右に横に切りさくこと」との記述。では、『ことばが劈かれるとき』とはどんなことか。気になって読みはじめました。

著者の竹内敏晴さんは、子どものころから耳が悪く、そのため話すことにも苦労され、その経験、そして演出家となった経験をもとに『ことばが劈かれるとき』を書いています。こえを出すには、ことばを発するには、そして何より、相手に届けるにはどうすればいいのか。こえ、ことばが、閉じてしまっている、あるいは塞がれてしまっている、それを「ひらく」という意味でという意味で「劈く」という漢字が使われていました。

ことばは、こえの一部であり、こえは、からだの動く音の一部である。だから「からだを劈く」ことが、「ことば(こえ)を劈く」ことにつながる。このような考えのもとに、竹内さんご自身の経験や、演劇のレッスンに取り組まれた体験談を踏まえながら『ことばが劈かれるとき』は書かれています。

興味深かったところは、からだが劈かれる段階を他者出現の体験にあてはめて整理されたところです。そこには6つの段階が書かれていました。
  1. 世界は私のためにある、自=世界が未分化な幼児的状態。
  2. その幸福な合一が破れて、世界が非自として現われ、自分をうばう場合。
  3. 「他者」のからだが姿を現したとき。
  4. 私のからだが、私にとっても相手にとっても、ものとして、見、ふれる対象としてそこにあるとき。
  5. そして、あらゆる段階を飛び越して、自他が融合するときがある。
  6. 5.の状態は長つづきしない。人はそこからふたたび目覚める。だが、4.にもどるというよりはもっと新しいものとして。
「わもん」で、そして「聞心」で、目指しているところが書かれている、と思いました。

5.での「自他が融合する」とは、「話聞一如」ではないか、と。わもんの創始者であるやぶちゃんは、こえで、音で、響きで、相手の「からだを劈いて」いるのではないか、と。6.の「目覚める」は「覚醒」につながるのではないか、と。「聞心」での「刀」のイメージは「劈く」イメージではないか、と。

ことばを劈くための、こえを劈くための、からだへのアプローチ。

この本から、そして、やぶちゃんから、まだまだ学べることがありそうです。